12月13日
97年年明けに下北沢のマンションの一室に編集準備室を開いた時のメンツは、この3人。当時の俺はまだ33歳。美大の短大辞めたばかりの唐沢真佐子も、専門出てリトルモアに入ったばかりなのにいきなり出向させられた今村真紀も当時は19歳でした。 pic.twitter.com/gFJpiArQOa
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 14
4人揃ったこの写真、ちょっと中期〜後期のビートルズ感あるな! pic.twitter.com/sZov054GXO
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 14
それはクラスヌ20周年アニバーサリーでも痛感させられた。そもそもナイト・タイムのクラブ・カルチャーに対する愛情から始めたはずなのに、周年のパーティをデイタイム開催することに踏み切ったのは、風営法〜EDMブーム〜チャラ箱の乱立という流れの中で、ナイト・タイムのクラブとい形態が
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 15
音楽が好きなのではなく、所謂「バンドが好き」な人たちと完全に乖離してしまって、もはや埋められない溝があることを痛感したから。ネット系クラブカルチャーの大半も、オールナイトという形態にはこだわらなくなった。だからこそ微力ながら、そこを横断させるための一度きりのデイタイム開催だった。
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 15
98年の世代は、くるりとスーパーカーを筆頭に、当時のクラブ・カルチャーに触発され、多大に影響を受けた世代でもある。恵比寿ガーデンで繁くんが「佐藤くんも新宿リキッドルームのクラブ・スヌーザーでは悪さしてたやんなあ」というMCをしてたけど、当時、繁くんや佐藤くんとは夜遊びしまくった。
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 15
だからこそ、繁くんから「DJの音から、そのまま生演奏に繋ぎたい」というアイデアが出た時は嬉しかった。夏前の大阪クラスヌにメンバーと遊びに来てくれた時もそうだったけども、彼らの中にも当時のナイト・タイムのパーティで経験した興奮が何かしら滋養となって根付いているということだから。
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 15
でも、やっぱりピュアリストは手強いなー。今だと「バンド好き」は本当に手強い。あと、誰でもDJがやれるようになって、特に邦楽フェス系のDJがテクノ/ハウス/ヒップホップが築いてきたスキルやテクニック、あるいは、そこから生まれる驚きとムード/空間/時間作りに敬意を払わなくなったことも
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 15
それに拍車をかけているんだと思う。勿論、これは主に君のことを言ってるんだよ、ダイノジ大谷くん。いろんなジャンル、いろんなタイプのDJが君の存在を俺に向かって愚痴りまくるけど、公の場所では貝になっているから、面倒くさいけど、俺が言うよ。君が台無しにしてしまったものは本当に沢山ある。
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 15
だからこそ、俺とヒサシくんはマージナルであり続ける。夜と昼を横断する、ジャンルの壁を超えていく、過去と未来が交錯する今という場所にだけフォーカスしながら、すべてのジャンルに敬意を払いながら、すべてが交錯するマージナルな場所で踊る。 https://t.co/KGTg2eKCvy
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 15
俺が96年にクラスヌで初めてアンダーワールドの“ボーン・スリッピー”をかけた時には、下北沢クラブキューのフロアにあた250人のクラウドの足が一斉に止まった。誰もがポカーン状態だった。20年間ずっとその繰り返し。でも、間抜けなピュアリストでもない限り、必ず伝わる。壁を越える。
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 15
この前の恵比寿でも「今でもアンダーワールドかけてんだwww」という反応もある。ただ俺がクラブ・カルチャーに対してひとつだけ違和感があるのは、すべてが最新のものでなければならないというドグマ。でも俺が興味があるのは過去と未来が交錯する現在。だからこそ常にその2つをミックスしてきた。
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 15
この前、ヒサシくんが地方のDJに説教食らわしてる時になるほどなーと思ったのは、彼曰く、タナソーはずっと変わらない曲をかけ続けると同時に、常に新しい曲をかけ続けて、自分が一番エキサイトしてるものを少しの躊躇もなく、ど真ん中でかけるんだよ、それは始めた時からずっとそんなんだ、って。
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 15
彼曰く、タナソーがアンダーワールドかけた時から、そこだけはまったく変わらないんだよ、テイラー・スウィフトかけ始めた時も、AKB48かけ始めた時も、aikoかけ始めた時も、どいつもガン引きなわけ、でも、ちょっとしたら、他のDJがあれはアリなんだ、つてかけ始めたりすんだよね、って。
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 15
ま、これからも好き放題やらせてもらいます。もしおもろいな、一理あるな、ちょっと体験してみっかな、と思ったら、またクラスヌに遊びに来て下さい。特に大阪がそうだけど、お客さんの年齢層にも幅があるのが自慢なんだ。いつでも戻ってこれる場所だから、クラブ・スヌーザーは。
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 15
「二十歳になったから、ようやく来れたよ!」て女子から、黎明期から来てくれて、たまーに覗いてくれる30代後半まで、どんな人にとっても帰る場所であり続けたいと思ってます。ジュリアン・コープが言ってんだよ。ロックンロールは帰る場所のないすべての人たちのためのホームなんだ、つてね。
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 15
俺がいつだってマージナルな場所にいたい、と考えてるってことに関しては、ここにくるり繁くんとスーパー・ファーリー・アニマルズのグリフが寄せてくれた文章からも感じてもらえるかも。良かったら読んで下さい。俺的にはかなりこそばゆいけど。 ↓ https://t.co/i9RIs0TERg
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 15
俺はいつだってマージナルな場所にいたいだけ。誰のことも敵だとも味方だとも思ってない。誰のことも拒んだことはない。文句があれば、友達だろうが、面と向かって言う。もし君が俺に対して何かしらムカつたり、俺のことを敵だと感じるなら、それは俺のせいじゃない。君の問題だ。
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 15
ロックンロールはどこまでも傲慢なんだよ。で、そこから生まれる軋轢を楽しみ、それを糧にする。マージナルでいることは、望まなくても軋轢の中にしかいれないんだから。でも俺の真似しちゃダメですよ。「一生何も書けない体にしてやろうか!」つて、脅されたりするから。そういう人のが最高だけどね。
— 田中宗一郎 (@soichiro_tanaka) 2015, 12月 15
この前のクラスヌの思い出。